イルカを始めた理由 1
イルカを始めた理由 その1
フロリダから東京に帰ってくると、
またいつものように仕事と都会暮らしが待っていました。
でも、今度はイルカの思い出がしまわれることはありませんでした。
毎日のようにHDIの統括部長だったデニー・リチャードと
長いメールを交換し、詳細な事業計画を練っていきました。
フロリダ最終日のHDIスタッフとの会談では、
ボクの提案はあっけないほどすんなり通ってしまいました。
ボクが日本でのHDIの代理店となってツアーを広報し、
夏にはフロリダに駐在して日本人の通訳・コーディネーターとなり、
プログラムを運営する、という大雑把な提案でした。
しかし、実際に会社を辞めるとなると、正直、恐ろしかったです。
一人身ならまだしも、家族を抱えて飛び込むには、あまりにも未知の世界。
日本でも野生イルカと泳ごうと思えば、御蔵や小笠原、もしくはハワイに行ってもできます。
なにも飛行機で15時間かけてフロリダに行く必要はありません。
また、パナマシティでイルカと泳げるのは、5月~10月の6ヶ月間だけ。
他の季節には、イルカたちが自分達の生活で精一杯になり、人間とは遊んでくれないのです。
半年だけのプロジェクトで、どうやって家族を養っていくのか…
(写真:越智隆治)
そんなとき、通勤途中に読む本としてたまたま手にしたのが、
「竜馬がいく」でした。
夢中になって読み進みました。
忘れもしない帰宅途中の満員電車の中、竜馬の最期を迎えてしまいました。
最終巻ではありましたが、まだ本の半ば。
ここでその時が来るとは予期していませんでした。
止められるわけもなく、満員電車の中で号泣…
涙、鼻水、よだれ、全部出てきました。
顔は覆い隠せても、お腹のヒクヒクは止まりません。
周りの人はどんな顔をしていたんだろう…
見てないんで分かりません。
とにかく、事業計画の現実的な計算結果にビビっていた
ボクの背中を押してくれたのは、この本でした。
生き方を選ぶ上で、大切なことを教えてくれた気がします。
「いっちょ地球を救うか!」
本気でそんな風に考えていました。
「まだ若い。冬の間は、体を動かせば生活費くらい稼げる。」
「結局いつか死ぬ。人生は損得じゃない。」
まさに「見切り発車」でした。
何が成功する要素で何が失敗する要素なのか、見当もつかない状態。
今振り返っても、ビジネス判断としては「無謀」以外のなにものでもありません。
でも、確かに「自分が生きた証としてやってみたい」と思えるコトでした。
そんなコトに出会ってしまった以上、
もう止める理由はすべて「言い訳」にしか聞こえなくなりました。
周りの流れが、「自分を押してくれてるな」と都合よく解釈できるときは、
多分、その波に乗るのが正解なんだと思います。
(写真:越智隆治)
ありがたいことに、様々な人のご理解とご協力がありました。
ボクの話に共鳴してくれて、わざわざフロリダに来てくれた
毎年100人を超える参加者の方々がいらっしゃいました。
そして家族。
その年には最初の子どもが生まれる、というときでした。
ウチの奥さんには、ボク以上の不安があったと思います。
でも、黙って背中を押してくれました。
その一つ一つの過程やボクの葛藤を理解してくれて、
思いやりのあるアドバイスをくれたのが、デニー・リチャードでした。
それ以来、デニーとは今でも兄弟のような付き合いをしています。
デニーとボクは2年後、何人かのセラピストとともにHDIを離れ、
共同経営者として、Water Planet USAを設立しました。
「参加者本位」のプログラム運営をするためでした。
(HDIは、参加者の気持ちを考えないほど学術志向が強くなりすぎ、NPOとはいえ、あまりに費用対効果を考えない出費のために、1年後経営破綻しました。)
Water Planet USAのスタッフも、みんな冬の間は別の仕事をしながら、
夏の間だけパナマシティに集まる「季節労働者」です。
生活は圧迫されますが、そこまでして続けるほど、
みんなにとって夏のパナマシティは魅力的なものなのです。
そんな人たちと一緒にチームを組めること自体が、ボクには何よりもの幸せでした。